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投稿者:

ZYAO22編集部

【れとりっぷ】岐阜県御嵩町のええもん発見旅!武将「可児才蔵」に五平餅、鬼岩岩穴くぐりで大冒険

戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと“再発見”してみませんか。今回は御嵩町を旅しました。

 

戦国最強の武将可児才蔵が生まれた御嵩町 看板やのぼり旗で、町をあげて才蔵激推し

 

1600年の関ケ原の戦いの様子を記した「関ヶ原合戦図屏風」の真ん中で、笹を背負って鋭い眼差しでどこかを見ている武将。戦国ファンの間で、「戦国最強」「笹の才蔵」「槍の才蔵」「主君変えすぎ」などと言われて人気の可児才蔵です。

 

 

才蔵は、可児郡御嵩町の願興寺で生まれたとされています。寺伝「大寺記」には、「越前で朝倉義景が滅ぼされたとき、1人の身重の側室が逃げ出して放浪の末に願興寺にたどり着き、隠れて住むことになりました。男の子が生まれましたが、苗字を朝倉にすることを避け、可児大寺(願興寺の別名)にちなんで可児太郎と名付けられました」との趣旨の記載があります。「義景が滅ぼされたとき」とあるのは、織田信長が近江国、若狭国へと領土を拡大する契機となった「一乗谷城の戦い」を指します。才蔵には、信長と激しく戦った武将の血が流れているということです。

 

 

関ケ原の戦い以降はずっと福島正則に仕えていましたが、それまでは明智光秀や柴田勝家、前田利家、羽柴秀次など数多くの武将に仕えたとされています。1584年の小牧長久手の戦いの時は秀次に仕えていました。秀次は敗走の際、馬に乗った才蔵に出くわし、馬をよこすよう命じましたが才蔵は「雨の日の傘に候」(雨の日に傘を貸すことができないように、馬を貸すことはできないとの意味)と言って走り去ったため、反逆行為とみなされ、いわゆる「クビ」になってしまったとのこと。

 

 

正則に仕えて迎えた関ケ原の戦いの際には、フライングして敵の首を討ち取ったことで謹慎を命じられていたにもかかわらず、密かに参戦。敵将の首を討ち取り、目印として笹の葉を差していきました。その数なんと17首(20首という説も)。正則は怒っていましたが、このことを知った徳川家康は感嘆し、「笹の才蔵」の通り名を与えたと言います。

 

関ケ原の戦いの後、正則が安芸(現在の広島県)へ国替えになったのに合わせて才蔵も安芸へ。晩年には才蔵寺を建て、信仰していた愛宕権現の縁日に死ぬと予言。1613年、宣言通りの日に息絶えました。

 

エピソードに事欠かない才蔵。願興寺は2018年から10年がかりの大規模解体修理中で本堂を見ることはできませんが、御嵩町や町観光協会では、生誕の地としてPRを強化。可児市方面から町への玄関口に大きな看板を建てたり、中山道みたけ館の館内に多数ののぼり旗を掲げたり。才蔵デザインのコミュニティバスもあります。才蔵を感じに御嵩町へGO

 

町を横断する中山道を歩いてみよう

 

御嵩町を語る上で外せないのが中山道。町を横断するように通り、御嶽宿と伏見宿の2つの宿場が置かれ、古くから栄えてきました。

 

 

願興寺の門前町でもある御嶽宿は、中山道の宿場町の中で一番早い1602年に整備されました。最盛期は街道筋にある60軒中28軒が旅籠屋と木賃宿で、歌川広重の「木曽海道六拾九次・御嶽」にも「きちん宿(木賃宿)」が描かれており、商家竹屋や御嶽宿本陣など、往時の雰囲気を残す建物が今も現存しています。また、伏見宿があった周辺にも建築物や古墳などの史跡が残っています。

 

 

「西洞の馬頭観音像」より東の5㎞ほどの道のりには山道も含まれ、多くが国史跡に指定されています。「牛の鼻欠け坂」は岩盤を削った急な曲がり坂で、牛や馬の鼻が擦れて欠けるほどだったという理由から、こう呼ばれているとか。ここから東へ1㎞ほどの道のりは当時の旅人が難儀した辺りで、苦しさをまぎらわすために唄を歌いながら坂を登っていたということで、「謡坂石畳」と言われています。そこからさらに1㎞ほど先の諸之木峠には、皇女和宮が降嫁の際、休憩所として御殿がつくられました。現在は展望台になっています。

 

御嵩町内の中山道は約25㎞あり全て歩くのは至難の業。全部はともかく、山道がメインの、隣の細久手宿(瑞浪市)から御嶽宿までの118㎞を歩くルートは人気です。この秋のお出かけにおすすめです。

 

「みたけのええもん」食べて休憩しながら散策を

 

中山道を歩いたり観光したりすればほっと一息つきたくなるもの。街道の周りには、御嵩町を代表する特産品を町が認定する「みたけのええもん」を食べられるお店がいくつかあります。

 

 

謡坂石畳でヘトヘトになったら、すぐ近くの森のケーキ香房ラ・プロヴァンスでオリジナルハーブティーを味わってみては。「リラックス」「リフレッシュ」「リジョイス」の3種類は昨年度、「ええもん」に認定されました。かわいらしいお庭を見ながらハーブティーにいやされ、さらには一口サイズの6種のケーキが楽しめる「プティ・フール」を頼めば…。どれだけ疲れていても、優雅なアフタヌーンティータイムの始まりです。

 

 

ガツンとお腹を満たしたいなら、御嵩町が誇る二大五平餅を食べ比べてみては。伏見宿のあるあたりから南西に入ったところにある「こなもん屋」は、地元でソフトボールチームの監督を務める、元気いっぱいの店主・藤井佳子さんが営んでいます。

 

 

藤井さんは8年前、「子どもたちが安心して集える場所をつくりたい」という思いから、自宅の敷地内で五平餅やたこ焼き、たい焼きなどを振る舞うお店を始めました。

 

自慢の五平餅は、御嵩で獲れたお米を炊いて手で成形し、地元の味噌をたっぷり塗って出来上がり。ふんわりと握っているため、「お母さんの手作り焼きおにぎり」を連想させるような、ほろほろ感がクセになります。

 

伏見宿本陣跡から東に1.2㎞ほどいった中山道沿いにある「まんまる五平餅」は、土日のみの営業です。愛知県瀬戸市で会社を経営していた岩井厚吉さんが引退後、セカンドハウスとして住宅を購入。中山道沿いという立地を生かし、2年前に五平餅の販売を始めました。「食べ歩きしても落とさないように」と、三つ玉の形にしたのがポイント。タレは妻の万里子さんのお手製です。万里子さんは料理が得意で、自身の舌を頼りに、地元の味噌、クルミ、ゴマを使って仕上げました。二人は「お店をしているといろんな方が来てくれ、おいしいおいしいと言って食べてくれて本当に楽しい」と充実した表情を見せます。

 

鬼岩岩穴くぐりは、ハードな大冒険

 

「飛騨木曽川国定公園」の一角にある景勝地「鬼岩公園」。「関の太郎」という鬼がこの地の洞窟に住み着いたことからこの名前が付きました。

 

 

公園内には「鬼の岩屋」という、青くて厳しい表情をした関の太郎の像がある洞窟がありますのでぜひ。入って5分間が経つとライトが消え、暗くなったら本当に不気味です。要注意。

 

 

この公園の最大の魅力は風雪に現れた花崗岩の巨岩の数々です。サル、亀、菜箸、蓮華…いろいろなものに似た巨岩は一見の価値があります。

 

 

そんな巨岩の隙間(岩穴)をくぐっていく「鬼岩岩穴くぐり」は、ガイド付き(予約制)でのみ散策できます。

 

道のりは全長110m。しかしあなどってはいけません。暗い中、這うような姿勢で岩穴を通り抜けたり、はしごを登ったり…アドベンチャー要素たっぷりです。