【れとりっぷ】岐阜県瑞浪市の観光スポット再発見 山城「小里城」に化石博物館、うまみ溢れる瑞浪ボーノポーク
戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと“再発見”してみませんか。今回は瑞浪市を旅しました。
織田信長・信忠の東濃支配の拠点 小里城には安土城との共通点が
瑞浪駅から南東に5㎞ほどの場所にある小里城は、市内にある鶴ケ城とともに戦国時代、織田信長と息子の信忠が東濃支配の拠点としていたことから、京都に向かって進軍する武田氏との軍事衝突の際、大きな役割を果たしました。
小里城は土岐氏の支流の小里光忠によって1530年代に城山(405m)に築かれたとされる山城です。四半世紀ほど後、甲斐(現在の山梨県)の武田氏が瑞浪市一帯への侵攻を開始したことから、小里氏は武田氏に従うことになりました。一方で織田氏も急激に勢力を拡大しつつあり、高野口(鶴ケ城の近く)で両軍が衝突するなどしました。この頃から、小里氏は織田氏に従うようになりました。
1574年には信長が小里城の改修を命じたと言われています。山頂部には、その2年後に建てられた安土城(現在の滋賀県)と小里城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しで造られたのでは」という興味深い説もあります。城山の一部が国有林となっているなどの理由から本格的な発掘調査が行われておらず、詳細は謎のまま。近年ではこの説は疑問視されていますが、信長ファンにとって気になるスポットであることには変わりありません。
改修の翌年に起こった長篠の戦い(愛知県)で織田氏が武田氏に勝利すると、信長は信忠を総大将として武田氏が攻略した岩村城(恵那市)に進みました。この時、小里城に本陣を置いたともいわれています。
本能寺の変の後、小里氏は一時期、徳川家康のもとへ逃れていた時期がありましたが、1600年の関ケ原の戦い後に再び小里城を居城とし、山麓の御殿場跡に陣屋・居館を築きました。しかし1623年に家督の小里光重が嫡子のないまま没したため、小里城は廃城となりました。
御殿場跡には現在も部分的に石垣が残されています。しかし江戸時代中期に描かれた小里城の絵図には、現在の石垣の周辺にも広い範囲にわたって石垣が描かれています。その割には周辺に石材がさほど残されておらず、崩れた石がどこにいったのか謎に包まれています。石垣の石は、窯業原料を砕く際に使用する石臼をつくるのにほどよい大きさであるため、誰かが持ち去ったのでしょうか。
小里城跡は麓の駐車場から天守台まで歩いて30分ほど。途中険しい道もあるので覚悟して登りましょう。
明智光秀のルーツ、瑞浪にあり
平安時代末期から鎌倉時代、美濃国土岐郡(現在の瑞浪市一帯)に土着した美濃源氏は「土岐氏」を称し、現在の瑞浪市土岐町一日市場の八幡神社あたりに居館を構えたとされています。
八幡神社周辺ではこれまで、平安時代末期から室町時代にかけての中国陶磁や古瀬戸などの高級食器を含む陶磁器片が採集されていることから、大きな経済力を持った人物・一族が住んでいた可能性が高いと考えられています。
小里氏も土岐氏の支流ですが、明智光秀のルーツも土岐氏とされます。そのため八幡神社の境内には、土岐氏の祖・土岐光衡と明智光秀の胸像が並んで置かれています。
パレオパラドキシアの化石見つかる!
1970年代の中央自動車道の建設工事の際に多くの化石が発掘されたことから、化石のまちとして知られている瑞浪市。今年6月5日にも、市内を流れる土岐川を清掃していた地元住民から「化石のようなものがある」という連絡が化石博物館に入り、学芸員が現場に駆けつけてみるとびっくり!つながった状態の背骨が河床に見えていました。すぐさま国立科学博物館の甲能直樹先生に写真を送ったところ、1200万年ほど前に絶滅したとされるパレオパラドキシアの仲間である可能性が高いとのことで、10日に緊急発掘を行いました。
すると、頭の骨も発見され、全長2~2.5mのほぼ完全な全身骨格であることがわかりました。発掘には甲能先生も参加し、「体格や生態の復元をするのに大変良い標本」と話していたといいます。
まだ実物等を化石博物館で展示できる段階に至ってないとのことですが、発掘やクリーニングのレポートの掲示があります。近い将来、現在の博物館の目玉「デスモスチルス」の全身骨格と並んで、パレオパラドキシアに関するコーナーが常設される日が楽しみです。
芝居小屋の舞台裏、じっくり見学
瑞浪市日吉町のゴルフ場の一角にある美濃歌舞伎博物館相生座。「歌舞伎博物館」と聞くと、ガラスケースに入った地歌舞伎の衣装を見たり歴史が書かれたパネルを読んだりというイメージを持ちがちですが、ここはそれだけではありません。実際に地歌舞伎の公演を行っている芝居小屋そのものを公開。舞台裏を惜しげもなく見せてもらえる観劇好きにはたまらないスポットです(完全予約制)。
建物自体は明治時代に下呂市内に建てられたものを移築し、1976年に歌舞伎役者市川猿之助氏によってこけら落としされたという歴史があります。その時、「鯉つかみ」という演目が上演されたことから、舞台のすぐ前には水槽が備えられています。
回り舞台や舞台の一部が上下する「せり」もあり、実際に動く様子を見せてもらうことも可能。せりが上下する様子を見て、「乗ってみたい」と呟いたらあっさりと願いが実現。花形役者になった気分を味わえました。
一押しグルメは瑞浪ボーノポーク
瑞浪市内で育てられ、霜降り割合は一般的な豚肉の約2倍!肉のうまみ成分と脂の甘味が強いことで知られる特産品「瑞浪ボーノポーク」。瑞浪ボーノポークを多くの方に食べていただくため、瑞浪ボーノポークPR委員会では、今年の10月31日まで「瑞浪ボーノポーク・グルメスタンプラリー」が開催されました。29の参加店舗で瑞浪ボーノポーク料理を注文することで、金額に応じてスタンプを獲得でき、3つ以上から瑞浪ボーノポークギフトセット等が当たる抽選会に応募することができました。
スタンプを集めるべく今回は2店舗にお邪魔しました。1店舗目は「きなぁた瑞浪」にあるボーノポークハム工房“瑞浪”。瑞浪産の材料にこだわって工房内でハムやソーセージなどをつくっているお店です。
モーニングで人気のパニーニはランチの時間でもOK。ベーコン、ソーセージ、焼肉の中から選ぶことができます。ランチの付け合わせにはソーセージやデザートもあって大満足!煮豚丼も瑞浪ボーノポークの甘味や旨味を堪能できるのでおすすめです。
2店舗目は瑞浪ICの近くにあるcafe福。2019年12月のオープン直後にコロナ禍に見舞われ、営業もままならない状態に。シェフの伊藤陽康さんはコロナ禍で乾燥パスタが良く売れていると知り、「だったら瑞浪ボーノポークのパスタソースをつくろう」とお店の味をそのままに、レトルトとして売り出すにはどうしたら良いかの研究を始めました。
そして出来上がったのが「瑞浪ボーノポークのボロネーゼ」。「店で提供しているレベルにするにはレトルト臭を出さないことがマスト。オイルまでもお店と全く同じものを使うなどの工夫を凝らしました」と言う自信作です。お店で食べても良し、きなぁた瑞浪やJR瑞浪駅などで売られているレトルトを買ってみるのも良しです。