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投稿者:

ZYAO22編集部

【れとりっぷ】自然豊かな「薬草のまち」飛騨市古川町 城跡からグルメ、お土産もいかが

戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと“再発見”してみませんか。今回は飛騨市古川町を旅しました。

 

姉小路氏→金森氏→天領 いつの世も「森林」が旬ワード

面積の9割以上を森林が占める飛騨市。1692年、藩主を務めていた金森氏が出羽国(現在の山形県)に移封となった後、飛騨は江戸幕府の直轄領(天領)となりましたが、これは木材をはじめとした豊富な資源に幕府が目をつけたのが理由なのではと言われています。

 

中世より飛騨古川の一帯は、朝廷によって飛騨国司に任じられた姉小路氏が治めていました。ゲーム「信長の野望」でツウ好みの弱キャラとして知られているあの姉小路氏です。姉小路氏は三家(古川・小島・向)に分かれ、それぞれが居城を構えました。

 

 

そのうちの一つ、小島城は小島氏が居城とした標高620m(標高差は130mほど)に位置する山城です。神岡を含む高原郷を支配していた江馬氏を警戒して造られたとされています。

 

古川氏や向氏は、南飛騨の三木氏の台頭によって16世紀前半に滅亡しましたが、小島氏は三木氏に加勢したことで存続することができました。しかし1585年に羽柴秀吉の命を受けた金森長近に攻め入られて滅亡しました。小島氏もこの時に滅んだとされています。

 

 

小島城跡には曲輪や櫓台、堀切、竪堀、枡形虎口、石垣が確認できます。石垣は算木積みという、石の長辺と短辺を交互に重ね合わせた方法が用いられており、これは旧来の飛騨の山城には見られないものであるため、金森氏が権威を示すために改修したのではと一部でささやかれています。

 

また、小島城の南側について城下町があった痕跡は残されていませんが、明治前期の地籍図には「一番町」「二番町」「三番町」という字名が…。金森氏が整備した高山城や増島城と共通した構造であることから、金森氏は小島城の城下町も整備しようとした可能性が指摘されています。

 

小島城跡は長年、地元の有志でつくる保存会が登山道の整備等を行ってきました。太江農業センターから30分ほど歩くルートは、今シーズンに合わせて看板等を設置。ハイキング感覚で楽しんでみては。

 

金森氏が整備した増島城、城跡は学校の下に眠る

 

増島城は、金森長近が飛騨を平定した後に養子の可重が整備した飛騨市で唯一の平城で、二層三階、高さ約12mの丸岡城(福井県坂井市)ぐらいの規模の天守があったのではと言われています。1615年に一国一城令が発令されたことを受けて「古川旅館」と改称し、その後80年ほど使われていました。そして金森氏の国替えを機に、城塁は取り壊しになりました。

 

その増島城跡は現在、天守があったとされる櫓台が残り、東側の一部には金森氏の時代と考えられる野面積みの古い石垣が確認できます。その他大部分は古川小学校や飛騨吉城特別支援学校の下に眠っています。古川小学校は2011年に現在の場所に移転しましたが、建設前には大規模な調査を実施して遺構を確認。しっかりと保存した上でその上に校舎が建てられています。天守があったとされる場所には「きつね火まつり」で有名な御蔵稲荷神社があります。

 

 

可重は、増島城の築城に合わせて城下町も整備しました。飛騨古川は、鯉が泳ぐ瀬戸川と白壁土蔵街でよく知られていますが、まちの中心部に水路が整備されたり、大きな雪像ろうそくや1000本の和ろうそくで瀬戸川を照らす冬の風物詩「三寺まいり」の舞台である円光寺、真宗寺、本光寺がこの地に移転等されたりしてきたのもこの時期です。

 

増島城の御城印は、飛騨古川まつり会館でGETすることができます。城跡に置いてある引き換え券を持っていかないと「登城記念」の印が入れられませんのでご注意を。

 

冬場、瀬戸川に鯉はいません!

瀬戸川には約1000匹の鯉が泳いでいますが、この鯉たち、冬場は増島城跡からすぐの場所にある池で過ごします。「冬眠をさせるためですか?」と飛騨古川夢ふるさと案内人の方に聞いてみると「そうではありません」との答えが。瀬戸川は冬季、屋根などに積もった雪を流す流雪溝として使われることから、引っ越しをするそうです。「白壁×瀬戸川×鯉の写真を撮りたい」「鯉にエサをあげたい」のであれば、4月中旬から11月中旬までの間に古川へ行きましょう。

 

まちの鍵アイテム「広葉樹」 カフェや産直市場で魅力紹介

 

飛騨市の森林には大きな特徴があります。それは「広葉樹」の割合が約7割と非常に高いこと。さらには利用価値が低いとされる直径26㎝以下の太さの「小径木」が主という点です。

 

そこで飛騨の広葉樹に新たな価値を生み出そうと、飛騨市では官民が一体となって「広葉樹のまちづくり」に力を入れています。その拠点の一つ「FabCafe  Hida」の一押しは、広葉樹であるクロモジを焙煎したクロモジコーヒー。爽やかで華やかな独特の香りが楽しめ、癖になること間違いなし!カフェでは広葉樹を使った箸やスプーンづくり体験もできます。

 

 

広葉樹に関連した最新スポットと言えば、飛騨市が道の駅アルプ飛騨古川構内に今年7月に新設した「飛騨産直市 そやな」。地元産の新鮮野菜が売りですが、それだけではありません。内装には飛騨市の広葉樹をふんだんに使用し、ぬくもりあふれる空間が広がります。陳列棚にも16種類の広葉樹を使用。見やすい位置に木の種類が書かれており、色や手触りを比較するだけでもワクワクした気持ちになれるでしょう。

 

店内には飛騨市産エゴマを使った五平餅などが楽しめる「えごま工房」もあります。

 

体験や食事で薬草の奥深さに触れる

 

自然豊かな飛騨市は「薬草のまち」。薬草体験施設「ひだ森のめぐみ」では常時、薬草を使った体験ができます。武将にちなんだれとりっぷの取材ということで、私たちは水戸黄門が印籠に入れていた!?説のある「クズの花玉づくり」に挑戦しました。葛の花にはちみつを少しずつ入れて粘土のような硬さにして、小さく丸めたら出来上がり。たったこれだけのことなのに、べとべとになったり小さい粒にできなかったりとなかなか難儀。いやされ夢中になれる時間にどうぞ。

 

 

この地で薬草を食べるには、蕎麦はいかが?福全寺蕎麦では、地元流葉産のそば粉を使用し、女将の川端美代子さんが丁寧に仕上げた本格手打ちそばが味わえます。

 

シンプルな盛りそばも捨てがたいのですが、「薬草のまち飛騨」を舌で楽しみたいのであれば、地元のよもぎを使ったよもぎとろろぶっかけそばがおすすめ。よもぎの爽やかな香りとおいしい蕎麦が合うといったらなんの。地元住民の中にもファンの多い逸品です。

 

井之廣と高校生がタッグを組み山椒味を考案

飛騨市のお土産として広く知られているのが井之廣製菓舗の味噌煎餅。近年は新たな味がどんどん誕生しています。

 

7月には、「ちょこっと山椒味」が登場。飛騨高山高校商業研究部と共同開発したもので、煎餅に塗られたブラックとホワイトのマーブル状のチョコレートの上にパラパラと飛騨山椒を振りかけて仕上げました。パリッとした触感×チョコの甘さ×飛騨山椒の味わい=完璧なおいしさ!!