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投稿者:

ZYAO22編集部

【れとりっぷ】旅する「水の都」岐阜県大垣市 名水がカギ!大垣城や水まんじゅう

戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと“再発見”してみませんか。今回は「水の都」大垣市を旅しました。

西軍の“聖地”水の都・大垣

大垣と言えば、ご存じ「水の都」。大垣地域だけでも15の一級河川が流れていることは水の都たるゆえんの一つです。戦国時代、河川やその流れをうまく生かすことで、防御機能のアップや水運が活用できることなどから、川の近くに城を築城するケースはいくつも見られました。大垣城もその一つで、市中心部を流れる水門川を外堀に利用して1535年に築城されました。その後、氏家ト全が城主の頃に城の土塁を高くするとともに堀を深くし、伊藤祐盛が城主の時に天守が造営されたと言われています。

 

 

1600年8月10日、この大垣城を石田三成ら西軍が、徳川家康を討つために居城の近江佐和山城(現在の滋賀県)から美濃に入って本拠としました。東軍は予想外に早く、8月24日に大垣城からわずか西北に数㎞の岡山(現在の大垣市赤坂地区にあり、後に家康が「勝山」に改称)に布陣。ついには9月14日に家康も着陣したことから、西軍に大きな動揺が走り、鎮めるために三成の家老・島左近が奇策を実行。杭瀬川の草むらに伏兵を潜ませた後、あえて刈田をして挑発し、敵が出てきたところを挟撃するというもので、見事大成功。この「杭瀬川の戦い」は、西軍が唯一、東軍に勝った戦いとして語り継がれるものとなりました。

 

そして9月15日、家康の作戦にのせられ、大垣城にいた多くの西軍の兵が関ケ原方面へ移動して関ケ原の戦いが勃発。関連して大垣城でも戦いが繰り広げられました。東軍が三の丸に攻め入るも西軍は防戦を続けましたが、とうとう9月23日に開城しました。

 

天下分け目の戦いが関ケ原で行われた理由は諸説ありますが、もともと三成は、家康らを大垣城で迎え討つ作戦だったけれど、家康は城攻めが得意ではなかったため、巧妙に野戦を仕掛けたという説もあります。歴史に「たら」「れば」を言い出したらきりがありませんが、もし大垣城で三成と家康がぶつかっていたら…。いろいろと想像力を駆使してみるのも歴史の楽しみ方の一つです。

 

秀吉出世の地! 墨俣

岐阜市中心部から、長良川右岸の堤防道路をしばらく走ると、右側にどーんと現れるのが墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)です。建物は1991年に造られたもので、立派な城郭があったという史実に基づいて…というわけではなく、織田信長の命を受けた木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が築いた砦のような城があったであろうことにちなんで建てられました。

 

信長は1567年に岐阜城の城主となりましたが、その前から、天下統一を目指す中で美濃を重要視したことは広く知られています。60年に川に挟まれた交通の要衝である墨俣に拠点を築くことを決めますが斎藤勢などに阻まれて難航。66年に藤吉郎に墨俣築城を命じました。藤吉郎は、木曽の山中から木材を木曽川に流し、松倉(各務原市)で馬柵ややぐらが組み立てやすいサイズに加工。その数1万数千本に上ったと言われています。準備が整ったところで資材部隊が墨俣に向けて流し、同時に戦闘部隊も一斉に墨俣へ行き、斎藤軍の攻撃を受けながらも夜間を中心に作業を続けて2日半で築城、信長が入城を果たしました。

 

これらの史実は、1959年の伊勢湾台風で崩れた愛知県江南市の旧家の土蔵から、「武功夜話」などの古書が見つかったことで明らかになりました。ただ、別の史料には、墨俣一夜城の築城に関する記述がないことなどから、歴史研究家の中には武功夜話の内容等を疑問視する声や、城の存在を幻と指摘する声があるのも事実です。それでもこの地が、藤吉郎が「天下人」となる出発点であったのではというストーリーは、歴史ファンを魅了してやみません。

 

大垣の水と一緒に味わう水まんじゅう

 

水の都である大垣。良質な地下水が自噴している井戸が数多く見られることから、大垣市では「わくわく湧き水マップ」という井戸水のマップを発行しているほど。“推し”の井戸があるという方もおり、まろやかな舌触りの名水を求めて、県外からはるばる汲みにくる飲食店関係者も珍しくありません。

 

これら地下水があるからこそ楽しめるものの代表格と言えば、大垣の夏の風物詩「水まんじゅう」。市内の多くの和菓子店で製造されています。味わいは店によってそれぞれ異なりますが「冷蔵庫ではなく、冷たい水で冷やしてから味わって」との声かけは同じ。そのため、中心市街地の大垣駅通りには井戸水に浸して販売しているお店がいくつも見られます。

 

大垣市郭町の1798年創業の和菓子店「金蝶園総本家」では、すぐ隣にある「大手いこ井の泉」と同じ水源の井戸水を使用しています。水まんじゅうは、小豆、抹茶、いちご、珈琲の4種類です。北野祐次郎社長は「大垣の水は抜群においしい。水まんじゅうは店内でも食べられるので、湧き水と一緒に味わっていただきたい」と話しています。

 

「グリーンソフト」と言えばすいぎょく園!

大垣の夏のスイーツと言えば、1913年創業の老舗茶舗「すいぎょく園」のグリーンソフトも外せません。抹茶ソフトではなく「グリーンソフト」と言うのがポイントです!!

 

1950年代半ば、全国の茶店経営者9人ほどでつくる勉強会のメンバーにすいぎょく園の当時の代表も入っていて、「緑茶を夏に飲む方は少ない。夏に売れるものを考えよう」と共同開発されたのがグリーンソフトでした。すいぎょく園では62年に販売を開始したところ大人気に。それを受け、翌年には店舗の隣に喫茶店「すいぎょく」をオープンさせました。

 

抹茶味のソフトクリームはその後、提供するお店が増えていきましたが、「グリーンソフト」という名前を使えるのは勉強会の参加店舗のみ。すいぎょく園では販売時から変わらぬレシピで提供しており、親子三代で通う方も多いとか。おいしさの秘けつを大橋憲一社長に伺ってみると「大垣の名水を使っているから」とのシンプルな答えが。喫茶店では、グリーンソフトをかき氷やぜんざい、パフェなどに「のせのせ」したメニューも楽しめます。

 

浴衣姿で城下町散策はいかが?

 

「水都の夏を涼しげな雰囲気で楽しみたい」と思った時、浴衣を着てみてはいかがでしょうか。大手いこ井の泉のほど近くにある「京屋呉服店」では、今夏から浴衣のレンタル&着付けのサービスを始めました。

 

夏のイベントに合わせて浴衣のレンタルや着付けをする呉服店はありますが、京屋呉服店では「日々平生、肩ひじを張らずに和装を楽しんでもらいたい」という思いから、あえてイベント等ではない日のレンタルを始めました。代表の杉江俊文さんは「城下町散策や和菓子めぐりをぜひ、浴衣姿で楽しんでください」と話しています。

 

大垣の特産品が勢ぞろい

「大垣のものが一通り買える」と評判が高いのが、奥の細道むすびの地記念館内にある「芭蕉庵」です。和菓子や洋菓子、加工食品、酒など、大垣をはじめとする西濃のお土産がずらりと並びます。

さまざまなメーカーの商品を好きなように詰め合わせることもでき、出張前に立ち寄るサラリーマンも多いとか。奥の細道むすびの地(住吉燈台・船町港跡)の真ん前。観光客にもうれしいロケーションです。