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投稿者:

ZYAO22編集部

【れとりっぷ】岐阜県恵那市を戦国観光 日本三大山城「岩村城跡」など山城満喫、城下町もぶらり散策

戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと“再発見”してみませんか。今回は恵那市を旅しました。

 

恵那市が誇る二大山城・岩村城と明知城 戦国ファンが集う全国山城サミットの舞台に

 

山城があった全国の市町村や関係団体が、山城を生かした地域の活性化等について考える「全国山城サミット」。29回目を数える今年は、102223日に恵那市を舞台に開かれました。

 

 

恵那市と言えば、全国でもっとも標高の高いところにあり、日本三大山城として知られる岩村城跡や、美濃国を代表する土の要塞・明知城跡等を有する全国屈指の山城どころ。22日は恵那文化センターでのステージイベントや飲食・物販が行われ、23日は岩村町と明智町を舞台に、戦国武将隊の演武や専門家によるトークショーが繰り広げられました。

 

 

恵那市をはじめとする東濃地域は戦国時代、武田氏と織田氏らがにらみあう境目の地で、この地の国衆は、家の存亡をかけて従属と離反を繰り返し、有事に備えて山城を構えていったという歴史が残されています。

 

 

岩村城(霧ケ城)は戦国時代、織田信長の叔母おつやの方が、岩村城主の遠山景任に嫁ぎましたが子どもがいないまま景任は病死。信長が自ら、息子の御坊丸を養子として送り込みました。しかしまだ幼かったため、おつやの方が実質的な城主を務めました。このことから岩村は「女城主の里」として知られています。

 

 

1600年の関ケ原の戦い以降も、岩村城は明治の廃城令が発令されるまで続きました。ただ立地がゆえ、歴代城主は本丸に居住せず、麓に藩主邸を構え、城下町の整備に力を尽くしました。その町並みは今でも残されており、明知鉄道岩村駅から城跡に伸びる本通りは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

 

 

明知城(白鷹城)は1247年に明智遠山氏の始祖・景重によって構築されたとされ、現在みられる大規模な山城は、戦国時代のものだと考えられています。織田氏、武田氏の争奪戦の舞台として、この一帯では記録に残されているだけでも4度の戦いが繰り広げられました。

 

自然の地形を巧みに利用した平山城で、石垣は見られません。主要な曲輪の周囲には、斜面に並行するように設けられた横堀と、斜面に直行するように設けられた複数の竪堀を組み合わせた「畝状空堀群」と呼ばれる遺構が残されていることが大きな特徴。近隣の山城では類例がありません。

 

この2大山城に大会中、特別ゲストで落語家の春風亭昇太師匠、滋賀県立大学名誉教授の中井均さん、城郭ライターの萩原さちこさんも登城し、山城サミットには2日間で約2万200人が訪れる大盛り上がりでした。

 

明智町で大正情緒&光秀の生き様を感じよう

 

恵那市明智町は、大正時代の姿をそのまま残した町ぐるみの博物館「日本大正村」で知られています。古き良き時代の雰囲気を残す大正路地や当時の建物が点在し、普段とは全く違った気分が味わえます。

 

また、明智光秀ゆかりの地としても有名で、光秀の産湯として使われたとされる井戸や供養塔、光秀に関する伝承が数多く残されています。光秀という切り口で散策してみるのも◎。

 

岩村城下町でカステーラ&御城印GET

 

国の重要伝統的建造物群保存地区の岩村城下町は、江戸時代中期から末期にかけて栄えた木村邸や勝川家、かつて染物業を営んでいた土佐屋を見学することができたり、古民家を改装したカフェで寛いだり、江戸や明治時代から続くお店で買い物したり。さまざまな楽しみ方ができます。

 

 

岩村の名物として真っ先に取り上げられるものと言えば「カステーラ」。岩村藩の御殿医が、長崎で学んだポルトガル伝来の作り方をこの地に広めたもので、以来200年にわたって岩村に定着しています。かめや菓子舗は、昔ながらの製法でカステーラを作るお店の一つ。ゆずや抹茶、黒ごまなどを用意しているのはかめやならではです。

 

 

カステラcaféカメヤを併設しているのもうれしいポイント。江戸時代に作られた和の高膳が並ぶ客席で、お庭を眺めながら伝来菓子を食べれば、江戸時代にタイムスリップしたような気持ちに。散策の疲れが和らぐこと間違いなしです。

 

 

御城印をGETするなら「町並みふれあいの舘」(観光案内所)へ。全国山城サミット恵那大会の開催を記念したものや新作の六段壁や女城主がデザインされているものなど、岩村城跡だけでも6種類を用意。また、岩村城跡や武将に関するグッズも充実しています。

 

歴史人物イラストの第一人者、長野剛さんが手がけたおつやの方のパネルと写真撮影できるのもポイント高しです。

 

ご当地グルメとカレーが、皿の上で激戦

 

恵那は「ハヤシライス」の生みの親、早矢仕有的のゆかりの地であることから、地元産の古代米と市特産の寒天、地元のブランド豚・三浦豚を使った「えなハヤシ」を市内の複数の飲食店で提供しています。そんなえなハヤシを食べようと岩村城下町近くのCAFE&DINING「エスポワール」に入ったところ、えなハヤシだけでなく、「女城主合戦カレー」という気になるネーミングのものを発見。これは気になる!と早速注文してみました。

 

 

この女城主合戦カレーでは、遠山家の後ろ盾となってきた武田軍を甘口の「えなハヤシ」のルーに、一気に力を付けた織田軍をスパイスの効いた辛口カレールーとし、白飯(岩村城)を挟んでせめぎ合う様子を表現しています。トッピングはパプリカ、イタリアンパセリ、カボチャで、それぞれの花言葉で女城主・おつやの方の心や境遇を表し、器も女城主の涙の形という凝りに凝った逸品です。2018年に地元住民団体が考案しました。

 

どちらの勢力もおいしいのですが、辛いカレーはなかなかの攻撃力。「口の中の辛さが収まってからハヤシを攻めるべきか、そのまま攻めるべきか。それとも混ぜて食べるという手もありなのでは」と戦略を考えながらパクパク。完食するまで口の中で激闘は続きます。

 

戦国観光からのグランピングはいかが

 

戦国関連以外にもさまざまな観光資源に恵まれている恵那市。コロナ禍でも安全安心に旅行ができるということで一大ブームとなっているグランピングを楽しめる施設だってあります。「根の上アウトドアパーク恵那 保古グランピング」は今年4月末にオープン。グランピングテントはドーム型で、専用の焚き火台、BBQコンロ、冷蔵庫、エアコン完備です。

 

 

BBQが佳境を迎える日没頃、センターファイヤーピットの焚き火がともります。さすが「恵那、焚き火の楽園」とうたうだけあって暗闇に揺れる炎はとても幻想的。焚き火の勢いが落ち着いた頃にはデザートのマシュマロが振る舞われます。焼いてトロトロに。グランピングのマストアイテムとでも言うべき、主役級の存在感です。

 

 

そうこうしているうちに部屋の前の焚き火の準備も完了。温かい飲み物を手に焚き火を見ながら家族や友達と語り合う時間はプライスレス。焚き火が消えた後、満天の星空を見たら就寝時間です。

 

自然の恵みを味わえるとっても贅沢な時間。戦国観光からのグランピング。恵那ならではの楽しみ方です。