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投稿者:

ZYAO22編集部

関ケ原合戦、参戦してみた(下) 現地でのイベント「合戦絵巻」わが殿こそ戦の主役!

天下分け目の戦い「関ケ原の戦い」。慶長5(1600)年9月15日(旧暦、新暦では10月21日)、今の岐阜県関ケ原町であったこの戦いを再現したイベントに参加すると、423年前の武将たちの視点を追体験できた。だからこそ自信を持って言いたい。小早川秀秋殿こそ関ケ原合戦の主役だ。

 

(上はコチラ)

関ケ原合戦、参戦してみた(上) 現地でのイベント「合戦絵巻」423年前の武将の視点を追体験

 

満員のバスで戦場へ移動

バスの中は戦国時代=岐阜県関ケ原町

「あー、戦だりぃ、行きたくねぇ」。そんなぼやきが聞こえてきそうなバスの車内。関ケ原町では通常の風景だ・・・。すいません、ウソです。

 

「関ケ原合戦絵巻2023」。10月15日にあったこのイベント、全国各地から約120人が参戦した。着替え場所から戦場まではバスで移動する。車内はご覧の通り戦国時代。甲冑(かっちゅう)を着てシートに座る。狭い。つらい。脇差しが引っかかる。

 

私は稲葉正成役で参戦する栄誉を得た。稲葉正成は小早川秀秋殿の副将で、東軍に寝返らせ勝利に導いた。妻は後の春日局だ。無名だが、関ケ原の戦いの行方を左右した人物だ。強調しておきたいが、無名でも重要な役だ。

 

裏切ったんじゃない、呼応したんだ

一つ不安があった。小早川隊、他のイベントでは観客から「裏切り者ー」と声がかかることがあるという。殿の苦悩も知らないで、なんてこと! ベテラン兵が教えてくれる。「うちの殿は裏切ったんじゃない。呼応しただけだ。そう思って」。なるほど、うちの殿はただの裏切り者ではない。裏切ったんじゃない!

 

そんな心配は取り越し苦労だった。合戦絵巻の観客の皆さんからは「小早川―」と歓声が。ありがたい。わがことのようにうれしい。423年前の殿の深き苦悩が民の皆にも分かってもらえたのだろう。

 

小早川秀秋殿。観客から歓声が上がった=岐阜県関ケ原町

今年の小早川秀秋殿が凜々しいお姿だったのも大きな要因だと思う。秀秋殿を演じたのは和夢(なごむ)さん。アイドル活動や忍者をしている関西在住の20代の女性だ。アルコール依存症で優柔不断な愚かな若者、という従来のイメージを一新。巨大なプレッシャーと闘いながら、自分の人生を自分でつかみとろうとする若武者。そんなイメージで臨んだという。わが隊15人、殿の気高いお姿に一致団結した。

 

多くの犠牲が払われた戦争

合戦絵巻のステージは関ケ原ふれあいセンター前の広場。当日は晴れ、強風、雨、晴れとめまぐるしく天候が変わった。戦日和だ。

 

あ、徳川家康殿だ、石田三成殿だ。笹を背負った可児才蔵殿もいる。島津隊めちゃくちゃ強そう。有名人がいっぱいで、ミーハーな気分がわいてくる。

 

平塚為広殿と戦う私(中)=岐阜県関ケ原町

合戦絵巻が始まった。

小早川隊は松尾山から動かない。戦いは熱を帯びる。中盤、殿が号令を発する。「よおし、今が好機! 山を降りよ! 敵は大谷吉継!」。ついに来たか。「おー!」。私の相手は垂井城主平塚為広殿。吉継殿に宛てた辞世の句「名のために 捨つる命は惜しからじ つひにとまらぬ浮世と思へば」でも知られている猛将だ。相手にとって不足なし。小早川隊副将の平岡頼勝殿と一緒に平塚殿と戦う。20秒ほどの殺陣で息が切れる。リハーサルでは着ていなかった甲冑が重い。重心を低くするとかっこいい、と教わったのだが動きにくい。

 

戦場に倒れる将兵たち=岐阜県関ケ原町

戦いは進む。広場には死んでいった将兵たちが横たわる。リハーサルではベテラン兵から「楽な死に方」のアドバイスがあった。倒れるときは右側を下にするか、あおむけに倒れること。左腰に脇差しがあるから、左を下にすると痛いし、脇差しが折れることもあるという。

 

作・演出の高桐みつちよさんは死んでいった将兵たちをあえて見せるようにしたという。「関ケ原の戦いでは何千人も亡くなった。戦はむなしいもの。その人たちにとって、この先の社会が良くなったことが供養だと思う。戦いに敗れて亡くなった人たちがいたことを忘れてはいけない」と話す。

 

確かにそうだ。関ケ原合戦は令和の時代ではイベントにもなっているが、平和に向けて多くの犠牲が払われた戦争なのだ。

 

秀秋殿がいたから今の日本がある

終盤、秀秋殿が叫ぶ。「私は新しい世を、私の道を、自分で選んでみせる!」。令和の金吾、ここにあり。酒浸りで、わがままで、手がかかったあの殿(妄想)が立派になられて、もう、正成は泣きそうでござる。

 

フィクションとしての関ケ原の戦いは、しがらみがないと高桐さんは言う。「この武将は必ずよく描かないといけない、というものがない」。ご当地武将のイベントなら、その武将が必ず主役。だが、関ケ原合戦ではそういった武将はいない。「だから小早川秀秋を悪く描く必要がない。関ケ原ではそれぞれの武将の違った一面をフューチャーできる」。多様な見方ができるのが関ケ原の戦いの魅力という。関ケ原合戦は誰もが主役なのだ。

 

石田三成殿がステージから去っていく。合戦絵巻が終わる。西軍が負けた。

 

小早川秀秋殿がいたから今の日本がある=岐阜県関ケ原町

史実では戦後、稲葉正成は秀秋殿と対立し、小早川家を去る。妻の春日局を通して徳川家に仕え、最終的には大名になる。戦は終わった。時代は続く。その先に今の私たちがいる。

 

関ケ原の戦い、参戦してみると今までとはまるで違った見え方がした。423年前の合戦の結果、今の日本があると実感する。その結果に大きな影響を与えたのが苦悩する小早川秀秋殿だ。殿がいなかったら今の日本は違った日本になっていた。ただ、正成としての私は言いたい。殿は日本の歴史に残る大仕事を成し遂げました、と。どうか心穏やかにお過ごしください。心からそう願う。

取材・文 馬田泰州

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