明日、会社でなに話す?
これからもあなたを支えていく

アイコン

アイコン

明日、会社でなに話す?

これからもあなたを支えていく

アイコン

投稿者:

ZYAO22編集部

【れとりっぷ】選んで!使って!見て!焼き物のまち・岐阜県土岐市を旅 妻木城跡にも注目!

戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと“再発見”してみませんか。今回は土岐市を旅しました。

 

自然の偉大さを感じさせる山頂近くの幻想的な巨石群

 

花崗岩で覆われた409mの山の山頂に築かれた妻木城。築城時期については諸説ありますが、最近の調査では、戦国時代に土岐明智氏が築き、一族の妻木氏が拠点として整備したのではと言われています。明智光秀の妻・煕子は妻木氏で、妻木城で生まれたとの説もあります。

 

 

当時、東濃地方は京都に向けて進軍する武田氏と織田氏がぶつかる最前線でした。その影響で、1600年の関ケ原の戦いに際し、この地方でも戦いが繰り広げられ、妻木氏は徳川家康側につきました。家康の命により、岩村城主・田丸直昌の攻撃に備えて妻木城の防備を固めるため、岩崎城(愛知県日進市)から人夫100人が派遣されて急ピッチで普請。当初は東西に長い縄張りだったものが、コンパクトに再編成されました。

 

 

関ケ原の戦いの後、妻木氏は戦功を認められて7500石の旗本となり、しばらくは妻木城が機能していましたが、やがて山の北側の山麓に設けた御屋敷を使うようになりました。しかし、1658年に妻木頼次が急死。跡継ぎが無かったことから、妻木氏は断絶となり妻木陣屋は取り壊されました。

 

そんな妻木城跡の最大の見どころは、山頂近くの巨石群です。堀切などの整備で地表に花崗岩が現れた時、風化浸食によって四角形に割れ、まるで人が積んだ石垣のような姿になりました。自然の業とは思えないほど、きれいにまっすぐに割れているものもあります。数ある巨石の中には、十字架のような印が残されたものもありますが、これはくさび跡。強固な地盤がゆえ、割ろうとしたけれど割れなかったのではと言われています。山頂付近には、土塁や虎口、曲輪の跡もはっきりと残っています。

 

熾烈な戦いは土岐高山城でも

 

妻木城から北へ10㎞ほど行ったところには土岐高山城がありました。土岐高山城は、美濃源氏土岐氏の一族、高山伊賀守秀頼が室町時代頃に砦を築いたことが始まりだと言われています。戦国時代、東濃地方一帯で武田氏と織田氏が激しい戦いを繰り広げる中、土岐高山城を守っていた平井頼母は信長の支援を受けて土岐高山城を強固な要塞とし、武田氏の侵攻に備えました。1574年の武田氏による美濃攻めの際も、土岐高山城が激しい戦いの舞台の一つとなりました。関ケ原の戦いの際には岩村城主・田丸直昌の支城となりましたが、妻木氏に明け渡しました。

 

土岐高山城跡は土岐市中心部の標高差57mの高台にあり現在は物見櫓が整備されています。すぐ下を流れる土岐川や土岐市駅などが一望できます。

 

美濃焼と武将の深い関係

1400年以上の歴史を誇る美濃焼。陶磁器生産量は国内シェア40%以上を占めており、日本最大の陶磁器の産地として広く知られています。

 

 

そんな地場産業も、戦国武将が深く関わっています。妻木城主は代々、焼き物の生産を奨励し、美濃焼の基礎を作った領主だと言われています。そして広く知られている通り、茶の湯に魅せられた武将は数多く、織田信長や豊臣秀吉はその代表格。美濃国出身の武将で茶人の古田織部が手掛けた独創的なゆがみのある茶碗は大変重宝されました。

 

すでにその当時、美濃地域は日本有数の焼き物の産地となっており、ここで生産された陶磁器は全国へと出荷されました。土岐市の織部の里公園内にある元屋敷窯は、1605年ごろに築窯された美濃窯最古の連房式登窯で、当時の姿をよく留めていることから国指定史跡となっています。

 

現在に続いている焼き物のまち・土岐市内には、200を超える窯元があり、伝統的な工芸品から現代的なテーブルウェアまでさまざまな陶磁器が作られています。この一大産地で、選んで楽しむ、使って楽しむ、見て楽しむ…いろいろな角度から美濃焼に触れてみては。

 

【選んで楽しむ】地域最大級の品ぞろえ

 

道の駅志野・織部は、市内の美濃焼陶磁器卸商社が集まった商業団地「織部ヒルズ」に隣接していることから、品ぞろえはこの地方最大級。日常使いにぴったりなものから、市内外の陶芸作家が手掛けたこだわりの品まで勢ぞろいで、売り場をぐるぐる回っても飽きないほどです。値段はいわゆる「産地価格」で、「この器、全く同じのが家にあるけれど、もっと高かった…」と心の中で思ってしまうこともあるかもしれま!?

 

【使って楽しむ】日展陶芸作家のお店で優雅な時間

 

美濃焼は国内シェアナンバー1というだけあって、使って楽しむことは決してハードルの高い話ではありません。気付いているかどうかはさておき、自宅で使っているこの食器もあの食器もきっと美濃焼でしょう。しかし、陶芸作家が手掛けた作品を使ってみたい!となると話は全く別になってきます。

 

土岐市下石町にあるギャラリー&茶せんラテの店genpoan(玄保庵)は、日展陶芸作家の加藤保幸さんの工房に併設。お店で出される食器類は、加藤さんが手掛けたものです。

 

 

現在79歳の加藤さんは、もともとは絵付師。陶芸を始めたのは50歳の頃ですが、すぐに頭角を現し、陶芸を始めて間もないころから数々の賞を受賞しています。日展は3回目のチャレンジで初入選しました。「彩華錦」という、絵付師としての長年の経験を生かした鮮やかな色合いの作品を得意としています。60歳になったとき、「自分の作品を飾る場を」との思いから工房の横にギャラリーを開設。若手陶芸作家の個展を開くこともあります。作品を見に来た方がゆっくりとくつろげるよう、カフェとして飲み物やランチを振る舞うようになりました。

 

店内は古民家風の落ち着いた雰囲気が広がります。看板商品の茶せんラテは5種類の中から選び、自分でしっかりと混ぜて泡立ててから味わいます。茶器や花器、オブジェなどを見ながらふわふわのおいしいラテを飲んで心を落ち着かせる贅沢な時間。あまりの居心地の良さに思わず長居したくなります。

 

【見て楽しむ】とっくりとっくん、町中で生き生き

 

土岐市下石町は、全国でも有数の徳利の産地であることから、裏山地区の窯元の若者らが、陶器で徳利のゆるキャラ「とっくりとっくん」を制作。地区内のいたるところに飾っています。

 

 

下石公園のとっくりとっくん広場で、楽器を弾いたり酔いつぶれたりしているとっくりとっくんたちと出会った後、道に沿って左折して比較的細い道に入ります。一見普通の道なので、車だと見落としてしまうでしょうが、歩きながらよく見てみると、神社の鳥居の近くに座っていたり、川から落ちそうになっていたり、窯元で徳利を作っていたり…いろいろな表情のとっくりとっくんに出会えます。

 

土岐市観光協会によると、その界隈にはなんと170体近くもいるそうです。きっと見落としたとっくりとっくんもたくさんいるんだろうな…全てのとっくりとっくんに会ってみたい!

 

【番外編】とっくりの形のかわいらしい最中

番外編として紹介したいのは、土岐市役所のすぐ向かいにある老舗和菓子店「陶都菓匠 虎渓」の「とっくり陶祖最中」です。名前の通り、徳利の形をした最中で、1948年から販売されている土岐市を代表する銘菓です。

 

 

北海道十勝産の厳選した特級小豆だけを使って炊いたあんこを、職人が一つ一つ手で皮に包んでいきます。普通に食べるだけでなく、夏場は半冷凍して「アイス最中」に、冬場はお湯を注いで「最中ぜんざい」にして食べるファンも多いそうです。焼き物に関連した商品としては他にも、茶わんをイメージしたバターサブレー「窯出しちゃわんサブレー」もあります(夏季を中心に販売)。

 

徳利や茶碗を産地で選ぶだけでなく、それにちなんだアイテムを探してみるのも旅の王道の楽しみ方です。