『どうする家康』明智光秀役、酒向芳さんインタビュー|「どんな役であっても、与えられた本の中で想像してやるだけ。」
2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』で、岐阜の英雄・明智光秀を演じる酒向芳さんは、岐阜県出身のベテラン俳優。
さまざまな作品での怪演ぶりが話題となりますが、今作はいかに。
物語の一つの山場となる〝本能寺の変〟直前に行われたインタビューの模様をご紹介します。
目次
どんな役であっても、与えられた本の中で想像してやるだけ。
編集部:まずは、明智光秀役が決まったときの心境をあらためて。
酒向:どんな役もそうですが、歴史上の名のある人物であっても、「あぁ、それを私がやるんだな」と思うだけなんですね。だから、あえて身構えることもしません。「あなたにやってほしい」と依頼があるのであれば、「わかりました」と言って受けるのが、私の仕事です。
編集部:大河ドラマはキャストも衣装も豪華ですが、やはり特別なものなのですか。
酒向:私にとっては同じですね、どのドラマも。ただ、とにかく衣装が重いですね。鎧や兜、全部着けて20kgくらいになるのですが、こんなに重い物だと思いませんでした。これを着けた人は全員そう思ったと思います。「実際にこれを着けて走っていたなんてすごい」とか、「俺たちにはムリだよな」という話はみんなでしていましたね。
編集部:これまで、多くの役者さんが明智光秀を演じていますが、過去の作品が思い浮かぶことはありますか。
酒向:ないですね。私は大河ドラマをあまり見ないので。長谷川(長谷川博己)くんが前にやられたというのも見てなくて。かえって見ない方がいいのかなと思いますし、明智光秀についていろいろ調べることもしません。私は与えられた本の中で想像してやるだけですね。歴史のほとんどは想像の世界だと思うんですよ。こうじゃないか、ああじゃないか、と正解はないんです。私も同じで、未完成のままの人間ですから、その自分がやったらどうなるかということなので、あえて調べないですね。頭でっかちになってしまって、それに沿ってやろうとすると、自分というものがどっかにはぐれてしまうのですね。
ふだん出すことのない嫌な部分を出せるのは、気持ちがいいもの。
編集部:古沢良太さんの脚本を読んでどんな感想を持ちましたか。
酒向:「あぁ、面白いな」と思いましたよ。私は大河をあまり見ないと先ほど言いましたけれども、「あまり大河らしくないな」と思って読みましたね。それは、家康がこういう形で表現されることがなかったでしょうから。古沢さんの照準の当て方が面白いんじゃないですかね。
編集部:本作の明智光秀の印象は。また、監督や演出家からどんなふうに演じてほしいという話があったのですか。
酒向:本の中では、あまりいい人に書かれてはいないですね。嫌みっぽくって、ちょっと嫌な人だという。監督や演出家からは、そんなに大きな注文はないんですよ。逆に俳優にまかせる、ということなのかもしれませんけれども。シーンやセリフ、その場の状況によって、「こういう形で」と確認していく中で、自分でに色づけをしていくという作業なんですね。ただ、自分も明智と同じ故郷(岐阜)の人ではありますから、「言葉に方言が出るのはどうか」とふと口にしたら、監督が「それはいいですね」とマッチングしたことは面白かったですね。最後の最後で天下を取った後、また滅んでいくときに、自分の生まれたところの言葉が出るのは面白いんじゃないか、と。例えば、「たわけ」というのはよく名古屋でも言いますけれども、東濃の人はそれに〝くそ〟が付くんですね。「くそだわけ」と。愚弄した言い方ですけれども何回かは言っていますね。
編集部:本作の明智光秀に共感できる部分はありますか。
酒向:共感できるシーンはたくさんありますよ。嫌みな部分とか、人を見下した部分というのは自分の中にもありますから。それは、人間なら誰しも持っているものだと思います。それを出すのが私の仕事。出すということは、本を読んだときにその感情が自分の中でわかるということに発展していかないとダメなんですね。わからなければ、表現できない。自分の中にないものはできないですからね。
編集部:嫌な人を演じる場合でも、好きになれるものですか。また、そのやりがいは。
酒向:もちろん、もらった役に関しては好きになりますよ。でなければ役と仲良くなれないんで。いつまでも「この役、嫌いだなぁ」と思っていると、ずっと自分に合わない服を着せられるようなもので。やっぱり自分に合った服を着たいですからね。それに、ふだん出すことのない嫌な部分を出せるというのは、気持ちがいいものですよ。自分の中の嫌なところというのは、どんな方でも日常の中でなかなか出すことはないと思います。でも、隠れて上司の悪口を言うようなことを我々は平気でできる。それも番組の力と役の力を借りてできるわけですから、思い切ってやりますね。
背景がCGでも、目の前で本気で戦うエキストラがいるから高揚感が上がる。
編集部:明智光秀といえば、やはり本能寺の変が見どころです。光秀の最期を酒向さんはどんな思いでのぞんだのですか。
酒向:ドラマの撮影は、シーンの順番と撮影順が前後することがあります。順を追って撮影できればそれなりに自分の中で盛り上がっていきますけれども、今日は本能寺の変、明日は本能寺の変の前のシーンとなると、気持ちをそこまで持っていかなきゃいけないですよね。どの俳優さんもそうでしょうが、その組み立てがなかなか難しい。確かに、本能寺でのセットに入ると、建物があって、その向こうにCG映像で炎が燃え上がっていれば、その気持ちにはなりますけれども、実際に火の粉が飛んでくるわけでもないですし。蝋燭を焚いて煙はきますけれども、臨場感を出すには自分の想像力で補うしかないですよね。
編集部:CGを活用しての撮影が多いのでしょうか。
酒向:撮影はほとんど室内なんですね。建物の中にいて、背景が映る場合はCGですね。戦いのシーンであってもCGのときもあります。それは、パッと見た目ではわからないくらい精巧につくられています。でも、ロケ撮影も実際にありました。富士の裾野でのロケでは、演じるシーン自体は変わりませんけれども、空気感がやっぱり違いますよね。天が抜けているのと、抜けていないのとでは。肌感覚なのか、どこかの感覚が違うんでしょうね。
編集部:そんな中で、どのようにモチベーションを上げるのですか。
酒向:それは、周りの俳優さんが一緒にいるからできるんですよ。周りは全部CGで、自分ひとりでやるとなると高揚感が上がらないです。今回でいえば、エキストラの方が本気で戦っていますからね、自分の目の前で。否応無しにそういう気持ちにさせられますよ。仮にこれが信長がいないシーンもあって、居るつもりでやってくださいということになれば、居るつもりでやらなきゃいけないので、エキストラの方たちが頼りになります。
編集部:本能寺の変に向かって、今回の脚本ではどこで謀反を決意したのだとお考えですか。
酒向:謀反を決意したのは、画面ではとらえていないところかもしれませんよね。画面でとらえているとしたら、安土城で饗応役をやったときでしょうね。とても緊張感のあるシーンの中で、明智が人前で恥をかくわけですから。自分が人前で恥をかいたらどうなるか。例えばですよ、現場で監督の沿うようにできなかった俳優が、監督に「ダメだね、役を降りたら」と言われたときの瞬間は、大恥をかくときだと思うんですね。それは返せば、自分にできなかったということなんですが、自分にできなかったことを恨むよりも、恥ずかしいという想いが先立てば、そこにはいられなくなる。恥ずかしいの裏返しが、人を恨んでいくということになるのかもしれませんね。あと、「ときは今 あめが下知る 五月かな」のセリフがありますが、そこも決意の一つなんでしょうね。視聴者のみなさんも、今まで見たことのない本能寺の変を期待していると思いますし、作り手側もちょっと違う本能寺の変を作りたいと思っています。だから、「どんなシーンをやるんだろう」と思って見てもらうのが楽しみなんじゃないんですかね。
信長は強い人。その中に、私が見たことのない弱い岡田さんが見える。
編集部:信長役の岡田准一さんとお芝居されていかがでしたか。
酒向:私はあまり現場で他の俳優さんと話すほうではないので、よくは知らないんですね。やっているお芝居を見て、「この俳優さんはこういうところがあるんだな」ということは思います。岡田さんに関して言えば、今まで3~4回ご一緒していますけど、〝強い岡田さん〟しか見たことがないんですよ。今回の信長も強いですよ。それを役として要求されているから、岡田さんは強さを出しているんでしょうけれども。でも、その中に、私が見たことのない〝弱い岡田さん〟が見えるんですよ。だから、すごく面白かったです。それと、岡田さんは擬闘に才能のある方なので、私の殴られ方がちょっと違うとおっしゃったのですね。第27回で扇子で殴られるシーンなんですけれども、扇子がくるよりも早く私が動いたので、「早いです。扇子がきてからでいいです」って。きてからだと遅いんじゃないかと思ったのですが、それだとカメラで捉えたときには殴られていないように見えるんですよ。要は、カメラアングルを考えて岡田さんは言ってくれたんです。できあがったものを見たときに納得しましたね。
編集部:家康役の松本潤さんとのお芝居はいかがでしたか。
酒向:饗応のシーンで、私が家康の近くに行って器をむんずとつかんで駆け出すときに、家康は「知らない」というふてぶてしい表情をするんですよね。家康がそう見えたということは、松本さんがふてぶてしかったのですね。松本さんの中で、松本さんが表現したことですから。その表情を見たときに「あぁ、いい表情してるな」と思いましたよ。でも、それは、やり終えてから思うのであって、そのときに一瞬思うと集中力が途切れるんですね、余計な雑念が入って。嫌ですよね、俳優って。リアルに生きられないから。なるべくリアルにはいようとは思うんですけれどもね。