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投稿者:

ZYAO22編集部

【れとりっぷ】岐阜県海津市の観光スポットをぶらり 「おちょぼさん」にカフェやグルメも紹介

戦国時代を語る上で外せない地・岐阜県。多くの城跡や武将の生きざまを感じられる史跡が数多く残されていることから、戦国観光には最適です。くしくも新型コロナウイルス感染症の影響で、「近場」「屋外」「ふらっと行ける」旅がちょうど良い昨今。この機会に、地元の魅力を、岐阜新聞女子ネットのメンバーらと”再発見”してみませんか。今回は海津市を旅しました。

川に囲まれ交通・物流の要衝 関ケ原の戦いを前に東軍西軍が激突

 

1600年9月15日に関ケ原の戦いがあったことは広く知られていますが、この日に至るまで、前哨戦が県内各地で繰り広げられました。その中の一つ、南美濃の戦いは、関ケ原の戦いのほんの1カ月ほど前に海津市とその近郊で起こりました。

 

 

海津市の一帯は、木曽川、長良川、揖斐川をはじめとする複数の河川が流れ、舟運が盛んであったことから、戦国時代には交通・物流の要衝としていくつもの城が存在していました。

 

 

この地域の大名は、岐阜城の織田秀信に追随して多くが西軍についていましたが、松ノ木城主の徳永寿昌と今尾城主の市橋長勝は東軍につき、福島正則の命で8月16日に福束城(輪之内町)に夜襲をかけて丸毛兼利に勝利。その3日後には高木盛兼の高須城や高木正家の津屋城も攻略。駒野城の高木帯刀は、同族の高木貞友の説得で開城を決意し、東軍が南美濃を征圧しました。そしてその後に開かれた関ケ原の戦いの結果はご存じの通り。寿昌は居城を高須城に移し、初代高須藩主となりました。

 

 

高須藩はその後、幕府領を経て1700年に尾張徳川家ゆかりの松平義行が藩主となり、以降幕末までは高須松平家が治めました。十代藩主義建は、十男九女をもうけ、このうち井伊直弼と対立した徳川慶勝、徳川慶喜を助けた徳川茂栄、戊辰戦争で共に戦った松平容保と松平定敬は、幕末維新史に残る活躍をした「高須四兄弟」として広く知られています。

 

 

市歴史民俗資料館の3階部分には、高須松平氏の御館の一部を復元。高須四兄弟をはじめ、高須松平氏に関する数々の資料が展示されています。

 

刀の「美濃伝」のルーツ、海津にあり

海津市には、知る人ぞ知る刀剣に関連した歴史もあります。1300年頃、大和の名だたる刀鍛冶手掻包永に師事した志津三郎兼氏は、きれいな水が豊富にあること、材質の良い砥石を産していることから、現在の海津市南濃町志津に移住しました。

 

15年ほど海津を拠点にした後、相州伝を学びに鎌倉に赴き、20年ほどして再び戻り、関で活躍した金重らとともに、美濃伝と呼ばれる新しい流派をつくりました。美濃伝は、「折れず、曲がらず、よく切れる」刀を量産したことから、後の戦国時代には、武器として多くの武将に使われました。

 

兼氏の住居があったとされる辺りには現在、善教寺があり、境内には兼氏について書かれた大きな石碑が残されています。

 

おちょぼさん×木曽三川公園センター

 

海津市は、御存じの通り、「おちょぼさん」の愛称で親しまれている千代保稲荷神社と、国営木曽三川公園がある県内屈指の観光地。千代保稲荷神社は商売の神様としてよく知られていますが、参道で串カツを食べたり、草餅を買ったりと、散策が楽しめる点も多くの観光客を惹きつける大きな理由です。

 

 

木曽三川公園のシンボルは、遠くからでも目を引く高さ65mの展望タワー。晴れた日にタワーに登れば関ケ原方面や名古屋駅まではっきりと見渡せます。11月26日から12月25日までは恒例のイルミネーションを実施。今年のテーマは「星降る夜におくりもの」。どんな雰囲気になるのか楽しみにしているファンも多いでしょう。

 

人が集まるところというだけあって、魅力いっぱいの飲食店が続々とオープンしています。もちろん老舗も負けてはいません。柔軟な発想で新名物づくりに励み、話題を集めています。

 

田んぼの中のオアシスでこだわりのコーヒー

 

海津市歴史民俗資料館の近くの田んぼの中にどーんと現れた、オアシスのような雰囲気のカフェ「TIKKER」(ティッケル)。世界中を旅してきた経営者の山田琢哉さんは、「アメリカの郊外の大きな道沿いには必ず飲食店があり、人が憩える場所になっています。ふと、海津のイメージと重なってそんな店を作りたいと思いました」と話します。

 

 

コーヒーは、関東の人気店でローストされた豆を、アメリカのSLAYERのマシーンでいれるというこだわりよう。さらにバリスタは、定期的にラテアートのチャンピオンの指導を受けているとのことで、味も見た目も進化を続けています。

 

スムージーやクリームソーダ、デザートも目を引きます。

料理は「欧米の気軽な飲食店には、アジア料理が必ずあった」という思い出から、ベトナム風サンドイッチ「バインミー」やタイのチキンライス「カオマンガイ」などを用意。トマトや一部の果物、パンも可能な限り海津のものを使って地元を盛り上げます。

 

道の駅のおしゃれなお店で地産地消グルメを堪能

 

イタリア料理店でオーナーシェフをしていた西川崇さんが、今年6月にオープンさせたのが道の駅クレール平田にある「KAIJU CAFE」(カイジュウカフェ)。店名は「海津をなまらせてカイジュウ。海津の玄関口にある店として、海津の魅力をガオガオと発信したい」との意気込みから来ています。

 

ここの自慢は地元産の素材をふんだんに使った料理やデザートです。地元産のヨモギを一つ一つ手摘みして作った草餅は、モーニングとパフェで提供。パフェやアイスなどには、近くの森島牧場のミルクを使っています。フードメニューの一部には、地元のジビエを使用。西川さんは、2年前から地元のジビエを使った商品開発に力を入れていることから扱いはお手のもの。カイジュウスープ(ミネストローネ)には、海津のトマト等に加えてジビエも入っています。日替わりのデリセットに入ることも珍しくありません。「クセや臭みは感じさせないように工夫して作っています。ジビエは特別な存在ではなく、普通のお肉として気軽に食べてもらいたいですね」と話しています。

 

創業100年超・鰻屋さんでデザートタイム

 

千代保稲荷参道の鰻屋「いなりや」は昨年、創業100周年を迎えました。「この100年の間であらゆることが変わったけれど、継ぎ足して使い続けている鰻のタレだけは変わっていない。このタレを使って新しいメニューを開発しよう」という思いから、試行錯誤の末にプリンに鰻のタレを数滴かけて食べるという「川うなりプリン」が完成しました。黄身だけを使った「イエロー」と、卵白のみを使った「ホワイト」を発売したところじわじわと人気が出て、海津市観光協会の推奨土産品認定制度「かいづの逸品」に選ばれるまでになりました。

 

川うなりプリンと、地元パン屋のクロワッサンを一緒に食べるというコラボメニューも実現。最近ではソフトクリームとタレを一緒に味わう「川うなりソフトクリーム」が登場しました。店主の河合克英さんは「プリンを始めたことで幅が広がりました。デザートメニューだけの注文も大歓迎。ぜひ、カフェとしてもご利用ください」と話しています。

 

カラフルでかわいらしい老舗のピクルス

 

千代保稲荷参道で60年以上も前から続く老舗漬物店「田中漬物食品」。若い方にも手に取ってもらえるものをという思いから誕生したのが「満天ピクルス」です。定番はうずらの卵、ミニトマト、胡瓜などですが、季節限定商品も充実。夏季に仕込む枝豆は、一粒ずつさやから取り出して仕込んだ自信作で、売り切れ次第終了です。これからの時季は栗カボチャの仕込みが始まります。

 

透明の瓶に入っていて、並べるとカラフルでかわいらしい点も一押しポイント。一部商品には星形の具材が入っているのも◎。こちらも「かいづの逸品」に選ばれています。