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投稿者:

ZYAO22編集部

極低温動作トランジスタのスイッチング特性を解明

量子コンピューター用制御回路の研究開発を加速する半導体物理の新知見

ポイント
・1ケルビン以下の超極低温測定から低温半導体物理の新知見を獲得
・半導体界面での電子の捕獲が低温動作トランジスタのスイッチング特性を決定することを発見
・大規模集積量子コンピューターに向けた制御用集積回路の正確な設計に貢献

概 要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)先端半導体研究センター 新原理シリコンデバイス研究チーム 岡 博史 主任研究員、浅井 栄大 主任研究員、森 貴洋 研究チーム長は、これまで謎であったトランジスタの低温動作メカニズムを世界で初めて解明しました。

集積回路を構成するトランジスタの特性は温度によって変化することが知られています。そのため、集積回路の設計においては、その動作温度でのトランジスタ特性の理解が重要となります。近年では量子コンピューターの制御回路に向けて4ケルビン(マイナス269.15度)の低温で動作する集積回路の開発が求められていますが、このような低温でのトランジスタのスイッチング特性は従来の半導体物理の理論では説明できず、これまで謎とされてきました。今回の研究では、従来の研究対象温度であった4ケルビン(マイナス269.15度)よりも2桁も低い0.015ケルビン(マイナス273.135 度)の超極低温での電気特性を測定することで、半導体界面の欠陥が電子を捕獲する現象がオフ状態からオン状態へのスイッチング特性を決定することを明らかにしました。これは低温半導体物理に残された謎を解き明かした新知見であり、量子コンピューターの性能向上にも貢献します。

なお、この技術の詳細は、2023年12月9日から12月13日(12日発表)に米国サンフランシスコで開催される国際会議「IEEE International Electron Devices Meeting 2023」で発表されます。

下線部は【用語解説】参照

開発の社会的背景

集積回路はパソコンやスマートフォン、自動車、家電製品など身の回りのさまざまな電子機器を制御する心臓部であり、その構成素子はトランジスタです。トランジスタの動作特性は温度によって変化することが知られており、その電気特性は半導体物理に基づく理論式で表すことができます。そのため、集積回路はその対象動作温度での特性を考慮した回路設計を行う必要があり、トランジスタの各温度での特性を把握することが第一に重要となります。一般的な集積回路は室温動作(約300ケルビン)が前提となりますが、車載、地中資源採掘、宇宙・航空産業など、その用途によって動作温度の異なる集積回路が開発されています。近年では量子コンピューター用の制御回路として、低温下で動作する集積回路の研究開発が活発に進められています。これは量子ビットが配置される冷凍機の内部で集積回路から量子ビットを制御することで、量子ビットの高集積化を可能にする技術です。量子ビットに超伝導量子ビットシリコン半導体量子ビットを用いる場合には、制御用集積回路は4ケルビン(マイナス269.15 度)での動作となります。しかし、4ケルビン(マイナス269.15 度)のような低温下でのトランジスタ特性は従来の半導体物理に基づく理論式から大きく逸脱することがわかっています。これまでの世界的な研究開発により低温での各種電気特性について多くのことがわかってきましたが、トランジスタの動作を決定づける最も基本的なパラメータであるスイッチング特性については、実験結果を統一的に説明する理論は確立されておらず、大きな謎として残っていました。そのため、低温動作トランジスタのスイッチング特性の解明は半導体物理の根本的理解に不可欠であるのみならず、産業応用上も重要な未解決問題となっていました。

研究の経緯

産総研は、高性能・高集積量子コンピューターの実現を目指して、超伝導量子ビットやシリコン半導体型量子ビット、およびその制御のための低温動作集積回路の研究開発に取り組んでいます。これまでに産総研は、独自のアーキテクチャを用いた超伝導量子アニーリングマシン(2021年7月6日 産総研プレス発表)や高温動作可能なシリコン量子ビットの開発(2019年1月24日 産総研プレス発表)、スピン量子ビット読み出し向け電流計測回路(2022年6月14日 産総研プレス発表)、シリコン量子ビットの高速動作を実現する新集積構造の提案(2021年8月5日 産総研プレス発表)、制御回路用トランジスタが演算性能を低下させる起源の理解(2023年6月12日 産総研プレス発表)など、量子ビット向けデバイス技術から制御用回路技術まで幅広く研究開発に取り組んできました。トランジスタの低温電気特性についても、オン性能を支配する原因の解明(2022年国際会議VLSIシンポジウム発表)やノイズの増大現象の発見(2020年国際会議VLSIシンポジウム発表)など、世界をリードする研究成果を挙げてきました。現在、産総研 先端半導体研究センターでは量子コンピューターの制御に向けたトランジスタ・回路技術についての研究開発を進めており、今回、低温半導体物理の根本的理解に基づき、残された謎であった低温でのトランジスタのスイッチング特性を支配する原因を突き止めました。

なお、本研究開発は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託事業「量子計算及びイジング計算システムの統合型研究開発(2020~2027年度)」(JPNP16007)および文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(2018~2027年度)」(JPMXS0118069228)による助成を受けています。

研究の内容

今回の研究は、従来研究が中心的に行われてきた量子コンピューター用制御回路の動作温度である4ケルビン(マイナス269.15度)よりも2桁も低い0.015ケルビン(マイナス273.135度)までの超極低温での電気特性を測定することによって、スイッチング特性を支配する原因を突き止めたものです。このような実利用する温度よりも極めて低い温度での電気特性評価は、実用上は不要な特性を測定するものであるため、世界的に見てもほとんど測定した研究例がありませんでした。これをあえて実施したことが、今回の原因解明につながっています。

トランジスタのオフ状態からオン状態へのスイッチング特性は、サブスレッショルド係数(S係数)と呼ばれる性能パラメータで評価します。一般に、低温にするとS係数の値が小さくなり、スイッチング特性はよくなります(図1左)。半導体物理に基づく基本モデルでは、S係数は温度に比例するものとされており、低温にすると直線的に減少するものとされていました。一方、これまでの研究の中で50ケルビンから1ケルビンにかけての温度帯でS係数が基本モデルによる予測から外れることはわかっていましたが、その原因は研究者の間でも議論が繰り返され、定説がありませんでした。量子コンピューター用途では集積回路は4ケルビンでの動作となるため、低温での基本モデルからの逸脱は実利用上重要な問題であり、その理解が求められていました。

今回の研究で最も重要な役割を果たしたのは、トランジスタのS係数の1ケルビン以下での温度依存性を世界で初めて実験で観測したデータです。今回観測したデータを見ると(図1右)、1ケルビン以下の温度帯でS係数が再度減少に転じます。このような再減少は、これまでには観測されたことがない実験結果でした。

この世界で初めて実験的に観測されたS係数の再減少の原因を解明するために、これを説明できる理論を組み立てることを試みました。これまでの1ケルビン以上での測定結果を説明する仮説としては、S係数の基本モデルに半導体界面の欠陥の影響を考慮し、界面欠陥が生み出した自由に動ける電子がスイッチング特性を支配するという可動電子モデルが提唱されていました。これは、従来の議論の中では主流の仮説となっており、S係数が温度に比例する界面欠陥を考慮しない基本モデルとの相違を説明するものとされてきました。しかしながら、この可動電子モデルで理論計算を行ってみたところ、今回得られたS係数が再減少する実験結果を説明できないことがわかりました(図2赤線)。そこで、逆の考え方である、界面の欠陥に電子が捕らえられる捕獲電子モデルで理論計算を行ったところ、実験結果と同様のS係数の再減少が再現できました(図2青線)。これによって、今回の研究で初めて観測されたS係数の再減少は捕獲電子モデルで説明できました。このとき、S係数は電子の捕獲が始まると温度に対して一定となり、ほぼ満杯に捕獲されると再び減少を始めます。今回明らかになった事柄は、従来提唱されていた仮説を覆すものです。

以上の研究で明らかとなったのは、界面の欠陥に捕獲される電子の量がスイッチング特性を決めているということです。これは低温半導体物理における新しい知見であり、これまでの謎を解明するものです。また、回路設計においてはトランジスタ特性を再現するための方程式に、捕獲される電子の量という従来考慮されていなかったパラメータを導入し、方程式を高度化することでスイッチング特性を再現できることを意味しています。これによって、低温で動作する集積回路をより正しく設計できるようになります。本発見は低温半導体物理における学術的な意義のみならず、量子コンピューターの研究開発を大きく加速することも期待されます。

今後の予定

今後は、今回得られた成果を元にしてトランジスタ特性を再現する方程式の高度化を実際に実施し、制御用集積回路の設計技術を高めていきます。これらの研究開発を通じて、大規模集積量子コンピューターの実現を目指します。

論文情報

掲載誌:2023 IEEE International Electron Devices Meeting, Digest of Technical Papers
論文タイトル:Milli-Kelvin Analysis Revealing the Role of Band-edge States in Cryogenic MOSFETs
著者:Hiroshi Oka, Hidehiro Asai, Takumi Inaba, Shunsuke Shitakata, Hitoshi Yui, Hiroshi Fuketa, Shota Iizuka, Kimihiko Kato, Takashi Nakayama, and Takahiro Mori

用語解説

トランジスタ
現代電子回路において、信号を増幅したりスイッチングしたりするための素子。

集積回路
多数のトランジスタを用いた電子回路を1枚の半導体チップの上に形成したもの。

スイッチング特性
トランジスタがオフ状態からオン状態になる際の電流の立ち上がり性能のこと。

欠陥
半導体などの材料を構成している原子は規則的に並んでいる。その規則から外れたものを欠陥と呼ぶ。ここでは本来あるべき原子が1個なくなった点状の欠陥を指している。他にも、線状や面上の欠陥もある。

超伝導量子ビット
超伝導材料を用いて製造される固体の量子ビット素子。超伝導量子ビットには磁束量子ビットやトランズモン量子ビットなどと呼ばれる複数の方式がある。

シリコン半導体量子ビット
半導体材料であるシリコンを用いて製造される固体の量子ビット素子。シリコン量子ビットにはスピン量子ビットや電荷量子ビットの方式がある。

サブスレッショルド係数
ドレイン電流を1桁変化させるために必要なゲート電圧で定義され、トランジスタのスイッチング特性を表すパラメータのこと。従来の理論では、温度に対して比例するものとされていた。

可動電子
トランジスタを流れる電流に寄与する電子を指し、動くことができる電子のこと。

捕獲電子
トランジスタ内部で欠陥などに捕獲された電子を指し、電流には寄与しない。一度捕獲されると自由に動くことができない電子のこと。

プレスリリースの詳細はこちら
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2023/pr20231210/pr20231210.html