過去100年間における根尾谷淡墨桜の真の開花日・満開日・満開終了日・開花終了日を推測
気候変動の理解を深めるための、地域の人々による長期観測記録の重要性を示した
2025年2月6日
岐阜大学
海洋研究開発機構
過去100年間における根尾谷淡墨桜の真の開花日・満開日・満開終了日・開花終了日を推測気候変動の理解を深めるための、地域の人々による長期観測記録の重要性を示した
本研究のポイント
・岐阜県本巣市に位置する根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら)を対象に、過去100年間における真の開花日・満開日・満開終了日・開花終了日を推測しました。
・従来の半経験的な統計モデルや機械学習による手法とは全く異なる概念に基づき、ベイズ推定による状態空間モデルの推測という手法を応用した、汎用性の高い開花季節モデルを開発しました。
・開花季節モデルの構築と推測精度の検証のため、地域の人々による長期観測記録を活用しました。
研究概要
国立研究開発法人海洋研究開発機構 地球環境部門の永井 信 主任研究員、岐阜県本巣市在住の藤原 博龍、本巣市文化財保護審議員の杉山 新次郎、名古屋大学の森本 宏 名誉教授、岐阜大学 高等研究院環境社会共生体研究センターの斎藤 琢 准教授らの研究グループは、日本三大桜のひとつである岐阜県本巣市に位置する根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら;図1)1)を対象に、従来の半経験的な統計モデルや機械学習による手法とは全く異なる概念に基づき、ベイズ推定2)による状態空間モデル3)の推測という手法を応用した開花季節モデルを開発し、過去100年間における真の開花日・満開日・満開終了日・開花終了日(散り果て)(直接観測できない「真の開花・満開・満開終了・開花終了の状態」)を推測しました。開花季節モデルの構築と推測精度の検証において、上述の藤原をはじめとする当地域の人々により観測された長期記録(図2)を用いた点は独創的です。
本研究の成果は、気候変動が桜の開花季節に及ぼす影響の理解を深め、開花日や満開日などの予測精度を向上させるための知見となります。社会に広く公開されていない学術的にみて価値が高い地域の記録を探し、気候変動研究に役立てていくことが今後の重要な課題です。
本研究は、日本時間2025年2月6日にPLOS One誌(オンライン)において原著論文として掲載されました。
図1 満開の根尾谷淡墨桜(2016年4月6日、杉山新次郎撮影)。
図2 藤原博龍により1955年以降、目視観察とカメラ撮影により記録されている根尾谷淡墨桜の開花季節資料の一部(2023年7月5日、永井 信撮影)。
研究背景
地球温暖化をはじめとする気候変動は、生態系が四季折々に提供する供給や文化的な生態系サービスにとどまらず、光合成や蒸発散などの植生機能を介して、炭素・熱・水循環に対して大きな影響を与えています。このような気候変動と植生の関係性を深く理解するためには、開花・開葉・紅葉などの植物季節を過去から将来にわたり高精度に調査することが重要な課題となります。例えば日本では、人々の関心が非常に高いソメイヨシノを対象に、全国の気象台において、1953年以降標準化された手法により開花日と満開日が継続的に観測されています。これらの観測記録に基づいて、ソメイヨシノの開花日や満開日を半経験的に推測する統計モデルや、機械学習の手法を応用した推測手法が開発されました。しかしながら、特に、(1)満開終了日や開花終了日を推測する手法がない、(2)半経験的な統計モデルでは、詳細な気象データと最適な係数の決定が必要であるという問題点がありました。
研究成果
前述の問題点を解決するため我々は、ベイズ推定による状態空間モデルの推測という手法を応用し、近隣の地点において観測された気象データであっても適用可能な、根尾谷淡墨桜の真の開花日・満開日・満開終了日・開花終了日を推測するモデルを開発しました。満開日を例にあげると、真の満開日とは、直接観測できない「真の満開の状態」を示します。これに対して、観測された満開日(観測値)は、観測者の判断基準や観測条件(日時や天候、光環境)などを要因とした系統的な誤差を含むため、真の満開の状態を示すとは限りません。従来の半経験的な統計モデルでは、推測誤差が最も小さくなるような唯一の満開日を予測しようと試みるのに対して、我々のモデルでは、真の満開日の分布を確率として予測する(例えば、数十万通りの計算結果を分布として出力する)点に大きな違いがみられます。
桜の開花プロセスは、花芽の自発休眠解除のための冬季の低温要求と、自発休眠解除後の花芽の成長のための温度要求によって説明されることがよく知られています。低温要求と温度要求の量や期間は、気候によって違いがみられます(とくに年平均気温が高い地域では他の地域と比べて大きく異なる)。このため、従来の半経験的な統計モデルでは、推測精度を向上させるために、低温要求と温度要求の量や期間を対象地点ごとに見積もる必要がありました。これに対して、我々のモデルでは、低温要求と温度要求の量や期間を正確に見積もる必要はなく、低温要求と温度要求に関する説明をおおまかにモデルに組み込むことができます。
図3は、1924年〜2024年を対象に、1年あたり数十万回以上の計算をおこない推測した真の満開日の分布および観測値です。モデル入力データとして利用した観測値がない1988年以前では、推測された真の満開日の信用区間(図中細いグレーの点線)は、過去に遡るにつれて広がっていきますが、1955年〜1975年を除き(根尾谷淡墨桜の活性が失われ、花の咲かない年などが生じた期間)、推測された真の満開日の中央値の年々変動(図中太いグレーの実線)は、検証データの年々変動とよく一致していることが見てとれます。紙幅の都合上割愛しますが、岐阜地方気象台において観測された気象データを用いて、我々のモデルは、根尾谷淡墨桜の真の開花日・満開終了日・開花終了日の時間変化を同様に推測できました。
図3 1924年〜2024年における根尾谷淡墨桜の真の満開日(真の満開の状態)の推測結果(論文中の図2を改変)。
今後の展開
社会には、地域の人々により観測された生物季節の記録が数多く眠っていると考えられます。また現在では、XやInstagramなどのソーシャル・ネットワーキング・サービスやYouTubeなどの動画配信サービスに公開されたテキスト・画像・動画データにおいて、生物季節に関する記録が残されている場合があります。このような社会に広く存在する貴重なデータを気候変動研究に活用し、ある時代の気候のありさまを後世に伝えることは、現生人類が地球環境変動の理解を深め、持続的な社会を維持するために必要な課題のひとつになります。当研究チームは、社会に存在する記録データに対して新たな価値を与え学術的な活用を試みる「環境・社会データマイニングの開発」を推進していきます。
用語解説
1) 根尾谷淡墨桜:樹齢1500年余ともいわれる日本国指定(大正11年)の天然記念物に位置付けられる彼岸桜(Cerasus itosakura)。
https://www.city.motosu.lg.jp/category/2-18-0-0-0-0-0-0-0-0.html
2) ベイズ推定:ベイズの定理に基づいて、観測の結果からその原因や背景(見えない状態)を推論すること(参考文献:見えないものをさぐるーそれがベイズ 〜ツールによる実践ベイズ統計〜 藤田一弥著 オーム社 2016など)。
3) 状態空間モデル:観測結果を用いて、直接観測することができない見えない状態(真の状態)を解明し、予測するための時系列モデル(参考文献:時系列分析と状態空間モデルの基礎 RとStanで学ぶ理論と実装 馬場真哉著 プレアデス出版 2018など)
論文情報
雑誌名:PLOS One
論文タイトル:Estimation of true dates of various flowering stages at a centennial scale by applying a Bayesian statistical state space model
著者:Nagai Shin, Hakuryu Fujiwara, Shinjiro Sugiyama, Hiroshi Morimoto, Taku M. Saitoh
DOI: 10.1371/journal.pone.0317708